スケボースノボー二刀流の平野歩夢の挑戦!父や母、兄弟や彼女を調査

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スケボー競技は2020年東京オリンピックから、スノボー競技は1998年長野オリンピックから始まり、この2つの歴史を調査しながら、二刀流をこなせる平野歩夢の挑戦やスランプからの脱出、父や母、兄弟や彼女をチェックしてみました。

スケボー競技の歴史

1940年頃、木の箱にローラースケートの車輪をつけて滑り出したのがスケートボードのはじまりといわれています。

1950年頃、カリフォリニアにはもうすでにサーフィン文化がありました。サーファー達が波のない時に道でサーフィンのかわりに波乗りをしたいと遊び始めたのが今のスケートボードだとか・・・

当時は「サイドウォーク・サーフィン」と呼ばれ、木の箱から、今のスケートボードに似た形になったのがこの頃といわれています。

1960年頃には、南カリフォルニアのいくつかのサーフィンメーカーが、小さなサーフボードに似たスケートボードの製造を開始。そしてスケートボード・チームを結成して製品を売り出しました。

1970年代はコンテストも多く開催。

1975年にはスケートボーダー500人ほどが参加した世界チャンピオンシップが開催。映画「ロード・オブ・ドッグタウン」でZ-Boysが活躍したり、カリフォルニア・サンタモニカ(ベニスビーチ)がスケート発祥の地と呼ばれているそうです。

1976年、カリフォルニア州は大規模な干ばつに襲われ、水不足に陥りました。スケーター達は水の入っていないプールでスケートボードを始め、これが現在のパークスタイルの原型になったそうです。

この頃、スケートボードでジャンプをする「オーリー」という技も開発されたということです。

スケートボード普及のため、エアー(空中トリック)等ができるバーチカルランプ(いわゆるハーフパイプ)が作られた。

ストリートでのスケボーが人気になり、ストリートファッションも流行りだし、多くのスケボー用シューズやストリートファッションのブランドが次々と誕生。

こうしてストリート・カルチャーとして、スケボーが世に広まっていきます。

2001年の調査によると、18歳以下の野球で遊ぶ人の数が800万人だったのに対し、18歳以下のスケートボーダーは1000万人。なんとスケートボードで遊ぶ子供の方が、野球をする子供より多かったそうです。

さらに2002年にはNintendo 64のソフト『Tony Hawk Pro Skater 1』が発売され、今までスケートボードとは無縁だった子供たちの間にもスケートボードが流行りました。

2003年には、世界スケートボード協会が毎年6月21日を全世界でスケートボーディング・デーとすることを定めました。

2020年、東京オリンピックにスケートボードが正式種目として参加。

日本でもアメリカのようなスケートパークを作ろうと、各地にスケートパークの建設が予定されているそうです。

スノボー競技の歴史

1960年代に、アメリカ中西部で開発された「スナファー」という玩具が原型と言われており、まるで雪の上でサーフィンをするように見えたことから「snow(雪)」と「surfer(サーファー)」が合わさり、「snurfer(スナファー)」と名づけられたと言われています。

1970年代には、フィン(ひれ状で方向を安定させる板)の付いたものや、ウインタースティック社が開発した小型のサーフボードのようなスノーボードが作られるようになりました。

1970年代後半には、すでに日本にもスノーボードが伝わっていたということです。

1979年になると日本のスノーボードメーカーMOSSが、スキーの開放型プレートを改良し、世界で初めてハードバインディング(ブーツとスノーボードを固定する部品)を開発しました。

このハードバインディングは現在でも使われる形式となっており、技術の改良とともに、競技人口が増えていきました。

1980年代には、北米スノーボード協会をはじめ、世界各国でスノーボード協会が発足。

1988年にはヨーロッパ・アメリカでワールドカップが開催され、以降、国際大会も開催。

1990年代には、「国際スノーボード連盟」が発足し、国際的なつながりが強まっていきました。

1998年に開催された長野冬季オリンピックから、アルペンスタイルの「パラレル大回転」とフリースタイルの「ハーフパイプ」の2種類が正式種目となり、その後も種目は増えています。

  1. 1998年の長野県(日本)
  2. 2002年のソルトレークシティ (アメリカ)
  3. 2006年のトリノ(イタリア)
  4. 2010年のバンクーバー(カナダ)
  5. 2014年ソチ(ロシア)
  6. 2018年の平昌(ピョンヤン・韓国)

6回目の五輪を迎え、今やスノボーは5種目となり、ウィンター・スポーツの代表格になっているということです。 (2022年の冬季オリンピックは、北京 (中国))

平野歩夢のプロフィール

  • 名前: 平野歩夢(ひらの あゆむ)
  • 生年月日: 1998年11月29日
  • 年齢: 22歳(2021年7月現在)
  • 身長体重: 165cm/50kg
  • 出身地: 新潟県村上市
  • 学歴: 日本大学スポーツ科学部
  • 所属: TOKIOインカラミ(美容メーカー)
  • 2020年東京オリンピック出場予定種目: スケートボード男子パーク
  • 主な戦績: 19年日本選手権優勝
  • 五輪代表歴: ソチ冬季五輪(スノボーハーフパイプ),平昌冬季五輪(左同)

4歳からスケボーを始め、半年後にスノボーも始めたといわれています。

小学4年時にスノーボードメーカー、バートンと契約し、2011、2012年の全米オープンのジュニアジャムで連続優勝。

2011年3月、アメリカ・バーモント州ストラットンで行われた全米オープンの決勝で13位。

2013年1月、14歳で、開催された「X Games」では難易度の高い技を他のトップライダーが繰り出す中、圧倒的なエアの高さと、パイプ内でのパーフェクトな動きで史上最年少で銀メダル。

平野さんはスノーボードにおける「最年少のオリンピックメダリスト」として「ギネス世界記録に認定」されているといいます。

高校は開志国際高等学校、大学は日本大学スポーツ科学部を卒業。

その間も、海外を視野に入れ遠征し、毎年、入賞と優勝を繰り返し、スポンサー契約は8社を超え、2021年7月から新しく美容メーカー、TOKIOインカラミさんと所属契約を結んでいます。

父や母、兄弟は?

  • 父: 平野 英功(ひらの ひでのり)50歳
  • 母: 富美子(とみこ)48歳
  • 兄: 英樹(えいじゅ)26歳
  • 弟: 海祝(かいしゅう)18歳

父の平野英功さんは、若いころからサーフィンに没頭し、プロを目出すために22歳の時に準公務員職を退職。その後、自らが滑れる環境を作るためにサーフショップを経営。

息子たちにもサーフィンを教えていた模様ですが、長男の英樹さんが溺れたのを見て他の息子たちも恐れてしまい、それからはスケボーをするようになったといいます。

もちろん、スノボーも雪山で練習していたのでしょう。

そして、800万円の借金をして、村上市の老朽化した体育館を改修工事して、国内最大級屋内パーク「日本海スケートパーク」として運営。

歩夢さんは4歳から、兄弟たちも幼くして、日々この屋内スケートパークで練習を積んできたということです(゚д゚)!

この父の、練習場と指導のおかげで、サーフィンのセンスや十分な練習を積むことができて、歩夢さんを含む息子たちの健闘があるということですね(゚д゚)!

しかし、運営当初は経営難になっていて、父は副業を増やしたり、長野県の土地柄でしょうか、スノボーで雪山に練習や遠征にいくときには、交通費、宿泊費を節約していて親子で苦しい生活をしていた時期もある模様です。

にほんかいスケートパーク
出典:Google Map: 日本海スケートパーク

「本海スケートパーク」〒958-0037 新潟県村上市瀬波温泉3丁目4−10

父、平野英功さんは、日本スケートボーディング連盟副理事をされているということです。日本から世界に通用するアスリートを輩出すべくNPO法人を立ち上げ、未来のトップアスリートたちへの環境づくりをサポートしています。

母は、脱サラをした夫と3人の息子たちのために、毎日お弁当つくりや節約生活を懸命にして支えてくれていたといいます。

本当に母に感謝されています。ステキなご家庭です(^o^)

以下の動画は、平野歩夢さんの成長の軌跡や、兄弟、父や母の映像、高く美しいパイプライディングのルーツ、 過去数年間における心境の変化、そして新たに習得したトリックの映像などが詰まった、 公式プロフィールムービーです。

出典:Burton Japan:2013/12/20投稿済み

平野歩夢さんは、ほとんど熱愛報道がないとされていましたが、2014年のソチ五輪で15歳にして初の銀メダルを獲得した際、地元の友人の話として「1歳年上の高校生の彼女がいる」と報じられていたそうです。

気になったので少し調べてみました。

彼女は?

平野歩夢さんには、中学生のころから交際している女性がいるとか・・・噂になっています。本当でしょうか?

2014年のソチ五輪で15歳にして初の銀メダルを獲得した際「1歳年上の高校生の彼女がいる」と報じられていたそうです。

平野さんの友人の話によると、平野さんは彼女のことはあまり話さなくて、彼女のことも隠している、とかです・・・

なぜならファンのことを大切にしているからだということ。スノボとスケボーに夢中で、それどころじゃないということ。

本当にそうですね(゚д゚)!アスリートには練習は欠かせませんし、ファンのイメージを損なうのは悲しいことですね。

しかし、ある程度の年齢になって結婚説が出てくのは、ファンも応援してくれると思われます。現在は自分磨きと将来のため、親孝行のために健闘されていることとと思います。

年収やスポンサーは?

スポーツ選手の年収は、試合優勝数+スポンサー数、と言われています。そのほかでは、CMやメディア出演料もあると思います。

平野歩夢さんの年収は、2億超えで、スポンサーの数は9社、その中でもユニクロは桁が違うと言われています。

  1. 木下グループ
  2. BURTON(バートン)
  3. NIKE(ナイキ)
  4. OAKLEY(オークリー)
  5. Monster Energy(モンスターエナジー)
  6. FALKEN TYRES(ファルケン)
  7. ビーツ・エレクトロニクス社
  8. TOKIOインカラミ
  9. ユニクロ

9社とも大企業で、平野さんも契約が結べるということはトップアスリートの仲間入りをしているということです。契約金も相当の額と言われています。

ユニクロは、世界で活躍するプロスノーボーダー、平野歩夢( @AyumuB )選手とグローバルブランドアンバサダー契約を結んでいます。

ユニクロは彼のボーダレスな挑戦を応援していきます!とあります。

平野歩夢さんとユニクロが共同開発したスノボーのウェアーは1,000の限定販売でしたが、即完売だったそうです。

オリンピックやワールドカップ、X GAMES、などの大会では、必ず優勝か、上位に必ず入賞しています。ソチ冬季五輪、平昌(ピョンヤン)冬季五輪には、続けて銀メダルなどの実績があります。

大会でも優勝賞金は、100万円~500万円、オリンピックでは、金500万円、銀200万円、銅100万円と言われています。

やはり、年収は1~2億は超えていると思われます(゚д゚)!

大怪我とスランプからの脱出と新たな挑戦

スポーツ選手は体が資本ですし、例外なく怪我や不調とも常に隣り合わせにいます。平野歩夢さんも例外ではありませんでした。

「大怪我」と「くやしさ」

順風満帆なスノボー人生でしたが、2017年の3月、試合の途中で4回転を失敗し、全治3ヶ月という大怪我を負いました。

「左ひざのじん帯損傷」「腹部・肝臓の強打」でした。平野さんは正直「もう絶対スノボーは滑れないなあ」と思ったと言います。

生命線であるひざを、2018年平昌冬季五輪に1年を切った時期に負傷し、周りからは「平野のオリンピックは終わった」とささやかれたといいます。

しかし、平野さんのアスリート魂はあきらめず、動かなかったひざの可動域をミリ単位で広げる、気の遠くなるようなリハビリを毎日続けたそうです。

自分がリハビリを続けている間にもライバルたちは練習しているという、悔しい思いがあり(焦りもあったと思われますが)・・・その思いしか強みに変えられないから、その思いを溜め込んでバネにしていったといいます。

「恐怖」と「トラウマ」との戦い

そして、3ヶ月後、スノボーの練習を再会させるのですが、大怪我の時の記憶が脳裏から消えず、フラッシュバックしてきて、以前のように思うように飛べない日々が続きます。「怖い、恐怖」と表現されていました。

しかし、試合に勝つにはどうしても大怪我のもとの4回転をする必要がある・・・と、4歳から練習していた「スケボー」の練習を再開させ、カンを取り戻そうとします。

同年9月、大怪我以後の、半年ぶりの実践であるオリンピック前のワールドカップ試合、平野さんは、やはり無難に試合しようとジャンプの回転数を控えていましたが高得点。が、途中、高得点を追い抜かれて、アスリート魂が目覚めて「やるしかない!」と思ったといい、4回転を飛びましたが失敗し、結果は3位に終わります。

「スランプ」からの脱出

次に12月、ワールドカップ第2戦、アメリカ・コロラド州で行われる、強豪の五輪選手が集まる試合であり、オリンピックの選出予選のような試合だといわれています。

今だに、トラウマや事故のフラッシュバック、プレッシャーに押しつぶされそうになりながらも、ふとある選手に目が止まりました・・・世界屈指のトップスノボーダー「ショーン・ホワイト」選手、あこがれで、何度も一緒に表彰台に登りました。

「ショーン・ホワイト」選手も3ヶ月前にジャンプで転倒し、顔を62針縫う大怪我をおっていたそうです。しかし「I'll be back soon and better than ever!!」(私はすぐに戻る、さらに強くなって!)というメッセージを発信していました、そのことを平野さんは思い出したのでしょう。

「ショーン・ホワイト」選手は見事に平野さんの前をすべり終えました。

そして、平野さんの番です。この試合でなんと、平野さんは大怪我から初めて4回転を決めるのです(゚д゚)!結果は、優勝しました。

この時、はじめて「恐怖心・トラウマ・スランプ」から1歩脱出できた・・・のです(゚д゚)!

出典:2020/05/16:2020/05/16投稿済み

「人がたどり着けないようなことを、自分の夢にできればいいなと思う」と平野さんは語っています。怪我を成長の糧に変えたのですね(゚д゚)!

新たな挑戦

スノボーをしながら、スケボーもする。スケボーもしながら、スノボーもする。

平野選手の中では、2つともお互いに切り離せない存在になっていると思われます。感覚やセンス。強力な戦力の4回転ジャンプも、2つの織りなす感覚から編み出されたもの。

だから、スケボーがオリンピックの種目として決定されたのなら、狙いにいくのは当然のことなのでしょう。スポーツ選手、アスリートはそれが仕事なのでは・・・

トップアスリート、超一流、世界屈指を目指して、新しい挑戦を続けて、二刀流の平野歩夢選手は邁進していました。

2020年東京オリンピック、平野歩夢選手のスケボー出場の日程は・・・

「2021年8月5日(木)午前9:00~」「パーク」という種目で出場。

午前9時「パーク」の予選から始まり、決勝、表彰式と午後1:40まで放送予定ということです。

テレビ放送の予定としては、日本テレビ系で放送されるということです。

尚、平野選手の出場はこの1日だけということなので、お見逃しなく(゚д゚)!

オリンピックでの平野選手のボードやヘルメット、ファッションやアクセサリーにも注目すると楽しさが倍増します。

平野選手のTwitterでもメーカーが紹介されているとかです。

今回のまとめ

スケボーとスノボーの二刀流の平野歩夢選手は、若くしてスポンサーもたくさん付き、実力もある世界屈指のトップアスリートでした。

途中、大怪我やスランプもありましたが、アスリート魂で切り抜け、さらなる目覚めや挑戦を続けていました。

コロナ禍での2021年開催「2020年東京オリンピック」ではやっと正式種目になった「スケボー」でも、平野選手は参加し、すべりやメダル受賞を期待された人気のアスリートです。

スノボーでもこれからの毎進撃を楽しみにしています。最後までご覧いただきありがとうございます。

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