笑福亭仁鶴の自宅や実家はどこ?嫁や子どもは?多才で至宝の生涯

わらい

上方落語の至宝、吉本興業の立役者と名高い笑福亭仁鶴さんが2021年8月17日に、骨髄異形成症候群のため84歳で自宅でお亡くなりになりました。

闘病されるまで「四角い仁鶴がまぁーるくおさめまっせ~」のNHK生活笑百科では32年間も司会を続けておられました。

笑いとトークの大御所、笑福亭仁鶴師匠の自宅や実家、嫁や子どもさんのことや多才で至宝の生涯を調べてみました。

自宅はどこ?

大阪府豊中市にあり、大阪北部の閑静な高級住宅街にある豪邸で数億円だということです。

実家は?

大阪府大阪市生野区ということです。

実家は、鉄工所を経営されていたということで、後にお兄さんが継いでいたため、落語の仕事などに専念できたご様子です。ご両親のことはあまり触れられていませんでした。

鉄工所は兄が継いでいたため親の反対はなく、実家の手伝いをすることのみを条件とされた

Wikipedia

wikiプロフィールや経歴

  • 本名: 岡本 武士(おかもと たけし)
  • 生年月日: 1937年1月28日
  • 没年月日 :2021年8月17日(84歳没)
  • 出身地: 大阪府大阪市生野区
  • 死没地: 大阪府
  • 血液型: O型
  • 学歴: 大阪市立生野工業高等学校
  • 身長: 165cm
  • 体重:58kg
  • 師匠: 六代目笑福亭松鶴
  • 出囃子: 猩々くずし、だんじり
  • 活動期間: 1962年(25歳)~2021年(84歳)
  • 活動内容: 上方落語、テレビタレント、司会者
  • 配偶者: 岡本隆子(1967年~2017年死別)
  • 所属: 吉本興業

笑福亭仁鶴さん(岡本武士)は高校生時代に落語にたいへん興味を持たれたようで、初代桂春団治のレコードを聞くようになります。

そして、朝日放送ラジオ『東西お笑い他流試合』『素人演芸会』『素人落語ノド自慢』、新日本放送『素人名人会』などの素人ばかりの参加番組に挑戦するようになります。

その演技は『東西お笑い他流試合』のプロデューサーから、欠員者の代替として出演を依頼されるほどになったということです。

笑いや話し芸、トークの素質があったのですね(゚д゚)!

そして、岡本武士さんは、当時の素人参加番組の審査員だった「6代目笑福亭松鶴」(上方落語協会2代目会長)に入門を懇願し、1961年4月1日に正式に入門されます。

岡本武士さんはなぜこの方を選んだかというと、初代桂春団治の雰囲気によく似ていたからだということです。

岡本武士さんが弟子入りされた当時、なんば花月や京都花月など演芸場が増えていき、落語家も増やしたいとの意向も重なり、多才で素質のあった岡本武士さんが「あいつは多才。吉本向き」と、推薦されたそうです。

そして仁鶴さんは、入門翌年の1963年から「吉本興業」に所属し、師匠の松鶴(松竹芸能所属)とは異なるプロダクションに籍を置くことになったということです。

そして頭角を現し、その人気ぶりは「視聴率を5%上げる男」の異名がつけられたそうです。

NHK紅白歌合戦の応援ゲスト出演や、大塚食品の「ボンカレー」のCM「時代劇・子連れ狼」になり「3分間待つのだぞ~」というフレーズで一世を風靡しました。

出典:懐かしいTVCMアーカイブス:2014/02/18投稿済み

吉本興業では、故林正之助氏(当時の吉本興業の社長)からも敬われ、笑福亭仁鶴さんにはギャラを一生涯下げるなと言われていたようで、2005年には、同社の特別顧問に就いていたという、吉本興業を大きく発展させた立役者となられた、ということです。

落語や寄席でも、落語をする前から笑いが起き「笑いの爆弾男」と呼ばれ、当時のなんば花月(定員900人)に一日8500人が押し寄せた、といわれています。

出典:dryseaweed:2014/09/28投稿済み

笑福亭仁鶴さんの弟子

  • 笑福亭仁智
  • 笑福亭仁福
  • 笑福亭仁扇
  • 笑福亭仁嬌
  • 笑福亭仁幹
  • 笑福亭仁昇

嫁や子どもは?

仁鶴さんの奥さんは「岡本隆子」さんといって吉本新喜劇でも活躍されていた女優さんでした。

「たかこ姫」との愛称があり、仁鶴さんとおしどり夫婦で、1944年12月9日、長崎県の壱岐島で5人兄弟姉妹の末っ子として生まれ島の高校を卒業後、京都の華頂短大家政学部へ入学、卒業。

隆子さんは役者を目指して吉本興業に入り、三枚目女優の研究生として梅田花月に出演していたところを仁鶴さんが一目惚れをし、知り合って15日目の1967年4月7日に結婚したというエピソードが残っています。

72歳で難病のため死去されています。

'84年、妻の隆子さんが難病の化膿性脊椎炎を患ってしまいます。仁鶴さんの懸命な支えもあり、7時間に及ぶ手術を経て、なんとか1年で克服しました。

Yahoo!ニュース

生前に隆子さんは、夫仁鶴さんとの生活をエッセーにした本を刊行されていました。面白いエピソードが詰まっているといわれています。

子どもさんは、いらっしゃらない模様です。

さらに、'94年には自宅が火事に見舞われていらっしゃいます。

豪邸の2階建ての屋根が焼け落ちて、落語の資料や衣服が焼けてしまったご様子でしたが、命は無事で本当に良かったですね(゚д゚)!

翌年には改築され、雑誌でも、自慢の豪邸を披露しているとのことです。

「数億円とも言われていた2階建ての豪邸の屋根が焼け落ちてしまったんです。幸い、仁鶴さんも隆子さんも無事でしたが、落語の資料や100着以上のスーツが焼けてしまいました。」

Yahoo!ニュース

笑福亭仁鶴さんの病気は「骨髄異形成症候群」(こつずいいへんけいせいしょうこうぐん)ということです。

骨髄異形成症候群とはがんの一種で血液細胞の大もとになる造血幹細胞というところに異常が起こる病気、といわれています。

症状としては赤血球の減少により顔色が悪くなったり、全身の倦怠感や動機・息切れ、血小板の減少により皮膚や粘膜に点状出血、鼻血などの症状がでるということです。

いつから闘病されていたのか?

2017年5月にNHK放送『バラエティー生活笑百科』の収録を放送開始32年目にして初めて欠席され、この頃から体調不良となられた模様です。

同年に奥さんや愛弟子を亡くされ、痛手も大きく心労も重なったご様子と言われています。

多才で至宝な生涯

「至宝」(しほう)の意味は、この上なく大切な宝のことをいいます。

「緊張しながら控室にご挨拶に伺うと、“どうぞお入り!”と中に招いて、コーヒーを振る舞ってくださいます。いつも収録前に、仁鶴師匠とフランクにお話しさせていただくおかげで、私もリラックスして番組に参加できました」と仁鶴さんのお人柄は有名。

「決して人を悪く言ったり批判をされません。周囲に対して気になることがあっても、直接的な言い方をされず、柔らかい言葉でそれとなく伝えられるんです。“まぁ~るくおさめる”ことを、普段から行動で示していらっしゃいました」とも言われています。

誰しも認めるお人柄で、至宝と言われる所以ですね(゚д゚)!

出典:ABCテレビニュース:2021/08/20投稿済み

「'70年代以降は落語に力を入れられて、四角い顔や独特の声を活かした落語で人気を博しながら、NHKの『バラエティー生活笑百科』に出演されていました。吉本にとっても上方落語界にとっても、先頭を走って時代を切り開いた人です」(西条教授)

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今回のまとめ

笑福亭仁鶴さんは、戦後のお笑い界を率いてこられ、芸人を育て、吉本興業を大きくした立役者として、走る抜かれた真面目な至宝で多才な天才芸人でいらっしゃいました。

ご冥福をお祈り申し上げます。最後までご覧いただきありがとうございます。

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