Joe Hisaishi久石譲とジブリ音楽が世に出るまで!?現在の年齢,プロフも調査

楽譜

久石譲氏は日本の作曲,編曲家,指揮者でありピアニスト。そして,ジブリ映画音楽の生みの親として有名です。Joe Hisaishi Official(YouTubeチャンネル)の演奏も人気上昇中。

今回は,久石譲氏とジブリ音楽との出会いや,作品が世に出るまでのエピソード,生い立ちや,久石譲氏の現在の年齢やプロフィールも調べてみました。

久石譲氏とジブリ音楽との出会い

久石譲氏と宮崎駿監督が始めて出会ったのは、1983年、映画「風の谷のナウシカ」の制作のときだった、ということです。

宮崎駿監督は絵の制作で忙しく、要請され音楽監督を務めることになったプロデューサーの高畑勲(たかはた いさお)さんは、映画監督でもあり日本大学芸術学部講師も務め、東大卒で、公益財団法人徳間記念アニメーション文化財団理事も努めていたとされます。

しかし、宮崎駿監督も高畑勲プロデューサーも、映画音楽の作曲者選びに大変悩んでいた・・・といいうことです(゚д゚)!

「風の谷のナウシカ」はその内容といいスケールの大きさといい、ハリウッド並みの超大作とされ、日本映画が得意とするジャンルでは無かったし、経験者も少なく、このような壮大なシンフォニーを任せられる作曲家が見つからなかった・・・からです。

そこに当時の徳間ジャパン(徳間 康快・とくま やすよしグループ会社)の担当者が、候補として推薦してきたのが久石譲さんだった、のです。

1950年生まれの久石譲氏は当時33歳。

当時の久石譲さんは、国立音楽大学作曲科を卒業し、アンサンブルグループを結成してコンサート活動を行ったり、日本フィルハーモニー交響楽団のコンサートのために、数々の映画音楽をオーケストラ用に編曲したりしていたそうです。

その他、テレビCMやドラマやシリーズの伴奏音楽の仕事を手がけたり、アルバムではミニマルミュージックを発表し独自の世界を築いていた、新進気鋭の作曲家のひとりだった、ということです。

まとめると、宮崎駿監督の制作会社の関連会社の徳間ジャパンの担当者が、久石譲さんを推薦したのがきっかけ、出会い、ということです(゚д゚)!

坂本龍一、細野晴臣、高橋悠治、林光、など候補者はあったとされていますが、映画のイメージと合わなかった・・・ということです。

なぜ、久石譲氏に決まったのか?

有名で有能な作曲家がずらりと候補にあがっているのに、映画のイメージと合わない・・・の理由でなかなか決まらなかったのです。

しかし、徳間グループ・レコード会社系列からアルバムを出していたということで、その関係者の推薦でほとんど無名だった、久石譲氏に声がかかったのです・・・がそこでもなかなか決まらなかったといわれています。

音楽監督プロデューサーの高畑勲氏は、悩んだ末・・・「結局の決め手は性格でしたね。」と、スタジオジブリのプロデューサー、鈴木敏夫さんは語っておられるということです。

「久石譲さんのそれまでに作った曲を聴いて、この人は高らかに人間信頼を歌い上げることのできる人だって見抜いたんです。賭けでした」・・・ともいわれています。

そして、その賭けに信頼を裏付けたものは、高畑氏が久石譲氏に依頼したイメージレコードの制作。

それは、宮崎駿監督の書いたタイトルと詩に近いメモをもとに、テーマ曲を書いてくれという宿題でした。

「届いたメインテーマを聴いて不安は吹っ飛びました」

「間違ってなかったと思った。本人は否定していますが、久石譲という作曲家を発見したのは高畑さんなんですよ。宮崎さんも絵を描きながらその曲を何度も何度も聴いていた」・・・と言われています。

出典:Studio Ghibli Music:2021/09/10投稿済み

それが「風の谷のナウシカ」(1984年)のメインテーマとなった「風の伝説」である。それまでの久石のすべてが入っていてすべてが始まっている曲だ。映画は大ヒットした。この一作で久石は世に出た。

Joe Hisaishi fan site "Hibikihajime No Heya" ~The room filled with Joe Hisaishi music~

まとめると、久石譲氏が選ばれたのは、性格、今までの作品、そして今回のアニメ映画イメージレコード作品が「風の谷のナウシカ」の壮大なシンフォニーのイメージにピッタリ合った・・・ということです(゚д゚)!

そして、映画は大ヒットしました(゚д゚)!

・・・こんなエピソードがあったのですね。さらに、ジブリ映画と音楽が世に出るまでのそれぞれの作品のエピソードをわかる限り調べてみました。

そして、さらに久石譲氏に依頼が来た

そして「天空の城ラピュタ」「となりのトトロ」「魔女の宅急便」「もののけ姫」「千と千尋の神隠し」「ハウルの動く城」の音楽も久石譲氏に依頼がきました(゚д゚)!

「・・・でも、結局、久石がいいということになって、プロデューサーだった高畑勲さんと鈴木敏夫さんが、僕のところに依頼しに来て下さった時は、本当に嬉しかった。」と、久石譲氏は語っています。

プロデューサーだった高橋勲氏や鈴木敏夫氏、宮崎駿監督も相当にクラシック音楽や映画音楽に詳しく、久石譲氏と価値観も同じレベルで、それぞれの映画シーンの打ち合わせは何時間にも及んだといわれています。

「天空の城ラピュタ」のエピソード

出典:Studio Ghibli Music:2021/09/08投稿済み

1986年の作品「天空の城ラピュタ」、物語の設定舞台は、イギリス・ウェールズ地方(スタジオジブリQ&Aより、以下同じ)

久石譲氏は、ある時、夜中の11時ぐらいに、他のシーンの音楽を書いていて疲れた時に、ふと浮かんだメロディを「ワクワクするような冒険活劇に暗いメロディは必要ないな」と、いったんはボツにしたそうです。

しかし、宮崎さんとプロデューサーの高畑さんがとても気に入って「歌詞を付けよう」という話になり、気がついた時には「君をのせて」がメインテーマになっていたそうです。

「となりのトトロ」のエピソード

出典:Studio Ghibli Music:2021/06/26投稿済み

1988年の作品「となりのトトロ」、舞台は、埼玉県所沢市近郊。

「姉のサツキがトトロに出逢う雨のバス停のシーン」で音楽は、「いらない、いる・・・」で意見が別れた・・・こういうことはよくあるそうです。

映画を少しでも良くしたいから、意見が白熱するのですね。

はじめ、宮崎監督は「バス停のシーンに音楽は要らない」とおっしゃっていたそうですが、鈴木さんは「絶対に必要だ」と。

そこで鈴木さんが高畑さんにこっそり相談したところ、「やっぱりあそこは音楽を入れたほうがいいんじゃないか」という答えが返ってきた・・・

「トトロ」の持つ精霊、自然の精としての神秘さを強調し、大人が鑑賞しても、その存在を信じられるシーンにすべきだと久石譲氏は思ったといいます。だから、そのためには音楽の力を借りる必要がある・・・。

それで、久石譲氏は実際に「トトロ」の曲を書いて、宮崎監督に聴いていただいたら、とても喜びながら「やっぱり、このシーンに音楽付けよう!」と、なったそうです(゚д゚)!

いいものができればそれで全員、納得ですね。そこは前向き。

「魔女の宅急便」のエピソード

出典:Studio Ghibli Music:2021/05/31投稿済み

1989年の作品「魔女の宅急便」舞台は、スウェーデンのストックホルム、バルト海のゴトランド島ヴィスビーの町。

ヨーロッパ的な雰囲気ということで、いわゆるヨーロッパのエスニック、それも舞曲ふうのものを多用しようと考えたと、久石さんは言われています。

たとえばギリシャふうとか、そういうニュアンスを出したというのがあり、ダルシマ(ピアノの原型となった民族楽器)とかギター、アコーディオンというふうにヨーロッパの香りのする楽器をたくさん使ったりした、ということです。

そして、(「魔女の宅急便」のテーマは)ずっと内面的なものになっていますから、音楽もあまりおおげさなものであってはいけない、音楽だけ浮き上がってしまってはいけない・・・そういう点に注意されたそうです。

久石さんが宮崎作品の音楽を創る時にいちばん、心がけることは・・・

「まず大きな声で歌えること。変にこまっしゃくれたものではなく、徹底して童心にかえってストレートに作るということですね。そしてヒューマン、人間愛にあふれていること。これに尽きると思います。」と言われています。

長年、コンビを組んできた高畑勲プロデューサーも「この作品はいわゆるファンタジーではありません。」と言っています。

「広い意味でいうとファンタジーかもしれないが、もっと現実に近い物語であると宮崎さんは考えてつくった・・・たとえばキキは空を飛びますけど、それはカッコよく飛ぶのとはちがうし、ふつうの女の子の日常的な描写や気持ちが中心になっているんですね。」

「はじめ、ホウキで空を飛ぶ、というのはスピード感もないし、変な効果音をつけるわけにはいかないので心配だったのですが、久石さんの音楽もユーミンの歌も、いまいったねらいにピッタリだったし、上機嫌な気分が出ていたのでホッとしているところです。」とプロデューサーの高畑勲氏は語っています。

「紅の豚」のエピソード

ところどころセリフが入っている動画を選んでみました。

久石譲氏の音楽と映画のシーンが素敵です。

出典:Tassadar:2018/06/29投稿済み

1992年の作品「紅の豚」舞台は、クロアチアのアドリア海沿岸。( (アドリアはAdria) 地中海北部の海。イタリア半島とバルカン半島に囲まれた細長い入り海。)

久石譲氏の音楽の制作エピソードが、調べてもわからなかったので、作品自体に触れてみました。

上映当時から「なぜ豚になってしまったのか」「最後には人間に戻れたのか」といった問いかけは、宮崎駿に対して何度も向けられていたそうです。

忠誠的な犬でも、自由的な猫でもなく、なぜ豚を選んだのでしょうか?

宮崎駿監督のこの答えに対する明確な答えはなく、何か単純化したくない気持ちが込められているのかもしれないといわれています。

しかし、パンフレットの前書きの時点で、誰がどういった理由でポルコを豚にしたのかが明文化されているということです。

迫り来る新たな戦争を前に再び国家の英雄になることを拒み、自分で自分に魔法をかけてブタになってしまいます。

フィルマガ」よりパンフレットを引用(されたと思われます)

人間の面倒くさい事柄に対して、自分は豚だから関係ないと他人事めいたりと、決してポルコ自身は豚であることを嫌がってもいなければ、治す気もない、というような態度のように見えるといわれています。

「もののけ姫」のエピソード

こちらもあえて、ところどころセリフが入っている動画を選んでみました。

久石譲氏の映画音楽と映像、そしてセリフがマッチして迫力があります。

出典:Justin P:2016/03/05投稿済み

1997年の作品「もののけ姫」、舞台は、屋久島、白神山地。(国の天然記念物にも指定されている青森県の白神山地屋久島。何千年も前からの手つかずの自然が残る場所。)

宮崎駿監督の熱意に圧倒された久石譲氏は、作品の重い世界観を表現するために、複雑なオーケストラ曲を本格的に書くことで応えた、といわれています。

そのため、映画音楽としては異例の2年を費やす労作となったそうです。

しかし、この作品が久石氏の大転換点となったと評価される方もいらっしゃるそうです。大きく飛躍されたのでしょうか・・・指揮者としても本格的に、クラシック音楽の新しい活動を開始されたのかもしれませんね。

「もののけ姫BGM」JASRAC賞(音楽著作権協会)の銅賞を受賞。

「千と千尋の神隠し」のエピソード

出典:Studio Ghibli Music:2021/06/12投稿済み

2001年の作品「千と千尋の神隠し」舞台は、江戸東京たてもの園。

東京都小金井市にある「江戸東京たてもの園」とは、歴史的に重要な建物を移築保存した広大な野外博物館です。

一歩足を踏み入れれば、まるで江戸~昭和の世界にタイムトラベルしたかのような、レトロで幻想的な世界が広がっている、と言われています。

久石さんは、千尋の心情が引き立つように全体を構成した、と言われています。

最初から最後まで、等身大の十歳の女の子を表現するにはどうしたらいいかということだけ、を考えたそうです。

そして、今回は、千尋の身の回りの個性的なキャラクターにも音楽をつけていったとのことですが、「湯婆婆」(ゆばば)だけは、最後までキャラクターがつかみきれなかった・・・ということです。

宮崎さんの作品は複雑で、善人が悪を抱えていたり、クールなキャラクターなのにその裏には優しさがあったり、必ず二律背反しているそうです。

しかもその両方を宮崎さんは求めますから。そういう意味で湯婆婆のテーマ曲は最後まで手こずった・・・と言われています。

・・・例えばピアノと弦楽器だけの曲であるとか、単音のピアノでメロディを弾いている曲の持つ静けさを大事にしたつもりです。そしてその千尋のテーマ曲ともいえる曲が静かな分だけ、他の楽曲をやかましくして、千尋の心情が引き立つように全体を構成していったんです」

久石譲ファンサイト

「千と千尋の神隠しBGM」が、JASRAC賞(音楽著作権協会)の金賞を受賞。

「ハウルの動く城」のエピソード

出典:Studio Ghibli Music:2021/07/06投稿済み

2005年の作品「ハウルの動く城」舞台は、フランス・アルザス地方、中央アジア。

「1つのテーマ曲で貫いて欲しい!」それが、宮崎監督から久石譲氏に言い渡された、今回の音楽のお題だったのです。

しかし、最高の出来で、最高の収録の「交響組曲 ハウルの動く城」が出来上がっていたのに、突然「1つのテーマ曲で貫いて欲しい」とのお題が出たものだから、久石譲氏はたいへんしょげた・・・と言われています。

なぜなら「ソフィーが十八歳から一気に九十歳という年齢になる。一足飛びに歳をとる。しかも、シーンによって微妙に若返ったり老けたりと、顔が変わる。それを、観る人にも一貫して同じソフィーの気持ちが持続するように、音楽に一貫性を持たせたい」というのが宮崎監督の望みだったからなのです。

しかし、久石さんはかなりショックだったそうです。

それでも「その映画のことを最も知り抜いているのは、やはり監督なのである。それに対する尊敬もあるし、信頼もあるから、監督の求めるものは最大限に尊重すべきだというのが僕の映画音楽に対する基本姿勢だ。」と、気を取り直したといいます。

そして、全体を貫くモチーフとなるメロディーを新たに作曲。

いよいよ、デモテープではなく、ピアノ演奏をして作品を聴いてもらった久石さん。

何度も演奏を聴きたいと真剣な目の宮崎監督、と鈴木プロディーサーの「OK!」が出るまでは、緊張の連続だったそうです。

なぜなら、一度でもつまらない仕事をしたら、次に僕に声がかからないことは知っている・・・と久石さんはそう思われているからなのです。

毎回が真剣勝負。苦しいのだが、この至上の悦びが全てを救ってくれるのである。

久石譲ファンサイト

久石譲氏は、JASRAC(音楽著作権協会)から賞を何度も受賞されており、2度めの金賞受賞は、史上初めてだということです。

「ハウルの動く城」で第31回ロサンゼルス映画批評家協会賞音楽賞を受賞。

「ハウルの動く城BGM」が、JASRAC賞(音楽著作権協会)の金賞を受賞。

「崖の上のポニョ」のエピソード

出典:Studio Ghibli Music:2021/09/13投稿済み

2008年の作品「崖の上のポニョ」舞台は、広島県福山市鞆の浦。

広島県福山市にある、鞆の浦(とものうら)は、古くから瀬戸内の中でも日本経済の中心を担う重要な港として発展した港町だということです。

レトロな木造の建築物も並ぶ、町並みも穏やかで落ち着いた雰囲気だそうです。

結果的に「ポニョの主題歌」はバク売れしたのでしたが、プロデューサーの鈴木さんは「トトロ」を上回るキャラを目標にされていたそうです。

宮崎監督は最初から「今回は歌がほしい」と言っていて、トトロの「さんぽ」のように、後々まで歌い継がれるような主題歌を作りたいと思っていたとか。

そんな中で、久石譲氏の考えていた音楽に、鈴木さんが起用した歌手と詩のイメージがマッチするのに、時間がかかったり、誤解を招きそうになったりしたことがあったそうです。

しかし、最後には打ち解け、無事「ポニョの主題歌」は世に出て、しかもトトロをしのぐ売れ行きだったということです。

「風立ちぬ」のエピソード

こちらの動画もセリフとシーンと音楽が入っている動画です。

出典:TIFF Originals:2013/08/15投稿済み

2013年の作品「風立ちぬ」舞台は、東京・名古屋・軽井沢・上高地・八ヶ岳・前田家別邸(熊本県)など。

「風立ちぬ」の音楽の着手は2年以上前からと、感覚を掴むのに時間がかかった作品だった、と久石さんは言われています。

「風立ちぬ」は今までの宮崎監督にはないリアルな時代設定、ある意味実写に近い作品だったので、その中で音楽がどうあったら良いのかという戸惑いがあったそうです。

まず、オーケストラを小さな編成にし、ロシアのバラライカやバヤンなどの民族楽器や、アコーディオンやギターといった、いわゆるオーケストラ的ではない音にしていったといいます。

抑えた音楽がすごく良かった、今までとは違う世界観が出せたといわれています。

オープニング曲は、飛行機が飛び立つまでは、ピアノがちょっと入るくらいで、・・・二郎の夢の中なので、空を飛んだとしても派手なものになるわけではないと、宮崎さんは言っていましたし、僕としても、観る人の心を掴むオープニングに出来たと思っています。この曲があったから、映画全体の音楽が「行ける!」と感じました。

久石譲のファンサイト

そして、宮崎監督と久石譲氏とのお付き合いも30年あまりになるそうです。

その中で、久石さんが受けてきた影響としては、「以前は音楽家としての野心みたいなものが強かったですが、今は映像と音楽が一体となった時に、どう観客に訴え掛けられるかを中心に考えられるようになった」と言われています。

「映画音楽として、より徹底して作れるようになって来たなと思っています。」とも久石さんは語られています。

「かぐや姫の物語」のエピソード

出典:Madman Anime:2014/09/22投稿済み

2013年。

最終的な映画音楽の理想として「音楽と効果音が全部混ざったような世界」・・・を作った、と久石譲氏は語っています。

それは、「光の音」についてはピアノを中心に、ハープ、グロッケン、フィンガーシンバル、ウッドブロックなどを掛け合わせて表現しています。

効果音を出せる楽器を駆使された、ということですね。

今回は弦の特殊奏法も多いということです。それは最近、現代音楽も手がけていることも含めた久石譲氏のパレットの中で、やれることは全部やろうとした結果だったそうです。

以下の動画でのオーケストラ演奏で、久石譲氏・指揮のもと効果音楽器がたくさん使われています。ジブリ音楽メドレーになっています。

出典:Log Horizon PV:2016/11/25投稿済み

久石譲氏のwikiプロフィール

  • 本名:藤澤 守(ふじさわ まもる)
  • 生年月日:1950年12月6日(2021年現在・71歳)
  • 出身地:長野県中野市
  • 学歴:国立音楽大学作曲科卒業
  • ジャンル:映画音楽、クラシック、ミニマル・ミュージック
  • 職業:作曲家、編曲家、指揮者、ピアニスト
  • 家族:長女・麻衣(まい、1979年8月15日生まれ・42歳)歌手
  • 活動期間:1974年~
  • レーベル:ユニバーサルシグマ
  • 事務所:株式会社ワンダーシティ
  • 公式サイト:久石譲オフィシャルサイト

現在の年齢は?

久石譲氏の2021年12月の現在の年齢は、71歳です。

生い立ちや経歴

長野県中野市で生まれた久石譲さんは、わずか3歳で音楽家になろうと決意したといいます。

4歳からヴァイオリンを習う

4歳の時からヴァイオリニスト鈴木鎮一さんの教室でヴァイオリンを習い始め、高校教師だった父親の影響(補導の担当場所が映画館だったそう)で幼少期から、年間約300本の映画を4年続けて見ていたということです。

そのことが、現在の仕事に影響を与えている・・・とご自身で語られています。

中学時代は吹奏楽部に所属したが、作曲家を志す

中学では吹奏楽部に所属しトランペットを担当。

演奏よりも、部活用の譜面を書いて、周囲に聴いてもらえる方が嬉しいと思ったことから、作曲家を志すようになったということです。

高校時代は月2回、東京でレッスンを受けた

須坂高校(長野県)在学中、幌村隆に師事し和声や対位法などの音楽理論を学ぶ。さらに、月2回東京に通い島岡譲(しまおか じょう・国立音大名誉教授)のレッスンを受けたということです。

大学時代は作曲家として活動を開始

東京都立川市にある国立音楽大学の作曲科に進学すると、引き続き島岡譲さんに師事し、在学中から作曲家としての活動をスタートさせ、コンサートの楽曲提供やプロデュースを行ったとされます。

20歳の時に「ミニマル・ミュージック」に出会い、影響を受け、現代音楽の作曲家として活動を開始するようになります。

さらに、作曲家の楽曲分析も始めるようになります。

「ミニマル・ミュージック」はジブリ音楽にも使われているとのことです。

以下は「ミニマル・ミュージック」の作り方の解説動画です。

出典:art01tgw02rinbu:010/01/23投稿済み

最後に・・・「ジブリ」とはどういう意味

ジブリは「GHIBLI」とも書き、サハラ砂漠に吹く熱風を意味するイタリア語、ということです。

第2次世界大戦中に使用されたイタリアの軍用偵察機の名前でもあり、飛行機マニアの宮崎監督が命名したとされています。

日本のアニメーション界に熱風を起こそうという思いを込めたネーミングだそうです。

まとめ

久石譲氏は、作詞家、編曲家、指揮者で、現在音楽や映画音楽、クラシック、またピアニストとしても音楽をこよなく愛する、日本を代表する音楽家で、現在2021年の年齢は71歳。

現在もコンサート、YouTubeなどで活躍中。

久石譲氏いわく「映画音楽にもある種の作家性みたいなものが残っていて、映像と音楽が少し対立していたほうがいいと思うんです。」と。

映像と音楽がそれぞれあって、もうひとつ先の別の世界まで連れて行ってくれる──そういうあり方が映画音楽の理想なんじゃないか、といわれています。

4歳から音楽と映画鑑賞を始めて現在は71歳になる久石譲氏、素敵な音楽をありがとうございます。いつまでも健康で長生きしてください。最後までご覧いただきありがとうございます。

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